週末、鬼ヶ岳に登るとほぼ毎回の様にお会いする方々いる、所謂「常連さん」という方々。 山頂で落ち合って賑やかにお話しをし始める年配常連さん、トレーニングの為黙々と登山道を2往復以上する強者常連さん、ゆっくりと花を探しながら登る常連さん、等々。 最近は日も長くなってきたので、平日でも夕方登る事が多いのだが、実はこの山には平日夕方のみお会いする「平日夕方常連さん」も存在する。長い人では5年程前からお会いし続けている人もいる。その方以外でも今週はたまたま月曜から昨日(木曜)まで毎日登ったのだが、毎日お会いしている人もいる。 そんな平日夕方会う人達は、週末はまず会った事がない。仕事の都合などで、平日夕方しか登る機会が無い為であろう。自分の様に平日夕方も週末も登る人は稀なのかも?  平日夕方の閑散とした山頂がまた良い!  昨日は久しぶりに若狭湾も一望できた
山とマラソン以外の事を書くのは何年ぶりだろうか? Van HalenのEdward Van Halenが喉頭がんの為、亡くなった。 私が大学に入った年、正に1984年、当時頻繁に乗せて貰っていたサークルの先輩の車からいつも流れていた曲が、その年大ヒットしたアルバム「1984」の Jumpだった。 憧れていた自由な学生生活、強烈なインパクトなアルバムジャケット、初めて聴く本格ハードロックがシンクロして、今でもこの曲を聴く度に鮮明に当時の記憶が蘇る。  今でも私の一番好きな洋楽として、その座は揺るがない。 ご冥福をお祈りいたします。
10月3日(土) 一ノ瀬→別山→南龍→別当出合 前日に一ノ瀬に入り車中泊。当初の予定は別当出合で車中泊して、朝一番のシャトルバスの折り返しに乗って一ノ瀬まで戻り、登山開始のつもりだった。その方が帰りのシャトルバスの時間を気にせずに済むし、何よりバスでの密を避ける事ができ一石二鳥である。 所が念のため事前にバス会社に問い合わせたら、あくまで下りのバスの乗車時間は9時30分からという事で、朝一の折り返しバスには乗る事はできないとの返事だった。おそらく朝一に下りバスに乗る登山者など想定していないのだろうが、どうせ空のバスなので正規の料金さえ払えば乗せて貰えるとの思いだったのだが、甘かった。 今回はこのコース初という妻と一緒なので、何とか最終バスの5時までには別当出合に戻れれば良いし、最悪間に合わなければ一ノ瀬まで歩けばいいや、という思いで登り始めた。  チブリ尾根は何度歩いてもブナ林に感動する。ブナ林を抜け尾根の稜線に出てからは今度はダケカンバやオオシラビソの群生に癒される。別山まで距離9.4km・標高差1500m・標準コースタイム5時間超は、別当から白山主峰までのメインルートと比べ遥かにきつい登山ではあるが、登山道の雰囲気、見える景色、着いた時の達成感どれをとっても チブリ尾根の方が玄人好みのコースだ。このコース初めての妻も最初は登れるか不安だった様だが、歩き終えた時にはとても満足してくれたみたいだった。  さて、 過去にも触れたが、この別山たる山何故か 変態が多く現れる山である。今回我々二人が別山山頂に着くとほぼ同時に、後を追うように単独女性が登頂してきた。何と彼女、最後の山頂への登りを楽しそうにピョンピョン跳ねるように駆け足で登ってきたのだ。この時点で既に 変態の匂いがプンプンである。  我々が白山を背景に記念写真を撮った後、彼女はシャッターを押してほしいと言って話しかけてきた。写真を撮ったあと、風が急に冷たくなってきたので、一段下の祠に移動した。ここは石垣が積まれ、山頂に比べかなり風を避ける事ができる為である。そこでお互い行動食を摂りながらしばらく話をしたのだが、彼女は別当出合から南龍を通ってここまで歩いて来たという。それじゃ我々と逆コースですね、これからチブリ尾根降りるんですね、と尋ねると、彼女はこれから三の峰へ行くというではないか! 彼女が駆け下りた三の峰への稜線一瞬言っている意味がわからなかった。三の峰に行くのなら一番近い登山口は上小池なので、下山後の移動の足はどうするのか?と尋ねてしまった。彼女は周回して一ノ瀬まで戻るんだと答えた。暫く頭を整理して考えてようやく理解できた、彼女は三の峰から六本檜、杉峠を経由し三ツ谷に降りて一ノ瀬まで戻るつもりなのだ。私も以前この 逆コースを周回した事があるので、やっと彼女の言っている意味が理解できた。 「何たる変態!」と心の中で叫んでしまった。 彼女はここから先は初めてのコースの様で不安気だったが、行動食を摂り終えると、冷たい風の中元気に石垣を飛び出して行った。その後我々も南龍に向けて出発し、途中妻が体調を崩すアクシデントはあったものの、何とか4時40分発のバスに乗り一ノ瀬に戻る事ができた。その間「彼女は無事周回できただろうか?」と話題になったが、翌日YAMAPに彼女のレポが上がっていて無事周回できた事を確認した。  彼女には勿論、私にとって初の 「変態女性」と認定させてもらった。 語弊があってはいけないが、過去同様私にとって山で出会う「変態」とは最上級の絶賛を表す言葉であり、彼女にはすぐさまメッセージを送りフォローさせて頂いた。
先日、白山ソロテント泊の際、行きの登山口でザックを計量した所、15.2kgであった。この後水を1リットル積んだ為、登山開始時の総重量は16.2kgという事になる。  先日YAMAPのフォロワーさんが同じく白山ソロテント泊をアップした際、ザックの重さが17kg程度と記していたのを拝見し、 「フフッ甘いな、何てそんなに重いんだ!」と一人で突っ込みを入れていたのだったが、いざ自分のザックを計量してみて、殆ど変わらない事に愕然とした。 なので、先日の装備を忠実に再現し、水以外の15.2kgの内訳を探ってみる事にした。そうすれば何をどうすれば良いのかが必然的に解る筈だ。各装備別に重さを計測してみたら、総重量15.236kgになった。結果が少ないと何か計り忘れたかと思う所だったが、ほぼ忠実に測定できたと思う。 表中重さの後の×は全く使用しなかったもの、△はほとんど使用しなかった、或いは全部は使用しなかったものを表す。 ザック | ザック | 65L | 2,900 | | 2,900 | | 就寝用具 | テント | | 1,230 | | 3,430 | ポール | | 400 | | ペグ | | 200 | | グランドシート | | 350 | | シュラフ | | 590 | | シュラフカバー | | 240 | | マット | | 420 | | | ウェア類 | 雨具 | | 735 | | 2,555 | ザックカバー | | 185 | × | スパッツ | | 100 | × | 下着、ソックス | | 200 | | ズボン | 二日目用 | 335 | | Tシャツ | 3枚 | 510 | △ | フリース | | 360 | × | ヤッケ・手袋 | | 130 | △ | | クッカー類 | クッカー | 大小2個 | 305 | | 720 | ガス | | 160 | | ガスバーナー | | 120 | | チタンカップ | | 90 | | プラ水筒 | | 45 | | | 食材 | レトルトご飯 | 2食分 | 230 | | 3,346 | 塩ラーメン | 1袋 | 115 | × | 棒ラーメン | 2食分 | 165 | | ウイダーインゼリー | 3個 | 570 | △ | ソイジョイ | 6個 | 156 | △ | つまみ類 | | 300 | | 食材入れ、Pボトルカバー | | 355 | | 味噌汁 | 2食分 | 45 | | なし(果物) | | 300 | | 缶ビール | 3本 | 1,110 | | | その他類 | 財布 | | 100 | | 2,285 | 眼鏡・眼鏡ケース | | 110 | × | ハッカ油スプレー | | 30 | | スマホバッテリー | | 250 | | サンダル | | 250 | | 南京錠 | | 35 | | 車のキー | | 85 | | 軍手 | | 60 | | トイレットペーパー | | 80 | | 洗濯バサミ・細紐 | | 60 | | 紙地図 | | 35 | | 文庫本 | | 100 | △ | ウエットティッシュ | | 180 | × | 救急セット | | 300 | × | サブザック | | 230 | | ヘッドライト | | 80 | | タオル | 4枚 | 300 | △ | | | | | 合計 | | 15,236 | さて、水を除いたこの15.2kgという総重量はソロテント泊の装備として標準なのかそれとも重い方なのか(軽い方では無いのは確か)。少しでも軽量化を図ろうと思ったら、このリストの中から何をどの様にすれば良いのか?最終的に何キロ位に出来るのか?色々考察してみる事にした。 山へ持って行くものとしてまずは大きく3つに分けられる。1つめはザック、テント、雨具といった、絶対に無くてはならない基本装備品類、もう1つは食料、衣類、調理器具といった、ある程度自由度がある材料品類。これらの他本、サンダルといった、あればより快適に過ごせる小物類。 まずは基本装備品類から、私の持っている装備品は購入から10年以上経ったものばかりで、これがまず軽量化の妨げになっているのかも知れない。 ザックGREGORYのtriconi、2007年に購入したもので、既に13年前の道具である。toriconiは当時ザック界のロールスロイスと目されたGREGORYのフラッグシップ的な存在だった。因みに現在のGREGORYの主力製品であるbaltoroは同じ65Lサイズでカタログ上ではあるが2.2kg。同じフラッグシップでの比較で0.7kgの差。この差が13年間のテクニカル的な進歩の差であろう。更には2kgを切る大型ザックも数多くある。ザックだけで既に1kgの軽量化が可能である(汗。 テントテント、ポール、ペグ、グランドシートの合計で2.18kg、これらは一体で使うものなので切り離して考える事はできない。これも同じく2007年に購入したPUROMONTEのVL-22。1~2人用でソロでは十分な広さが(120cm×205cm)あり身長180cmの私でも十分快適だ。  改めてPUROMONTEの商品を見てみると、同じダブルウォールタイプのVL-27が本体とポールで1.49kg、その差140gだ。テントでの差はザック程でもない事が分かった。但しこれも純粋なソロ用・シングルウォールタイプとなると、1.2kgを切ったものが出てくるが、快適さを犠牲にしてそこまで考慮するかは疑問が残る。 シュラフ・シュラフカバー・マットマット以外は2007年購入品。現在もほぼ同じ重量・性能と思われるので、再考の余地はないと思われる。 雨具雨具は私が山登りを本格的に始めた時に買ったので、2003年頃のものだと思う。モンベルのゴアテックスで今でも機能性に問題は無い。改めてモンベルのカタログを見てみたが、最近は上下別売りになっている事に初めて気付いた。重さはサイズ毎は載っておらず平均値で上下450gとある。プラス100gとしても200g位軽量化されている事になる。 ザックカバー・スパッツ共につい最近購入したもので、これ以上の軽量化は望めない、寧ろ今回の様に使用の機会が無かった為、持って行く必要があったかの検討は必要か。 次に材料品類だが、重さの上で最も個人差の出る部類ではないだろうか?山で快適に過ごしたい、或いは最低限過ごせれば良いとではかなりの差が出るのは明確だ。 ウェア類下着、ソックス、ズボンは替えを持っていったが、軽量化を考える上で1泊で替えは必要か?の議論はあるかと思う。勿論快適化を求めれば替えがあるに越したことは無いが、無ければ無いで凌げない事もない。Tシャツは就寝用の長袖と二日目の半袖1枚を使用、1枚は使用しなかった。フリースは夜間低温に備え持って行ったが、思った以上寒くならず、枕代わりにしかならなかった。行動中用のヤッケも今回は出番が無かった。 ウェア類は工夫次第で500g程度の軽量化はできそうだ。 クッカー類クッカー類は全て使用したが、大小2種類のクッカーは使い方によっては大1個という選択肢もあった。使用したのは棒ラーメンを食べた時と、みそ汁・レトルトご飯用にお湯を沸かしただけであり、この程度の食事で済ませるのなら1個で事足りる。 食材食材は人によって最も重さが左右される装備かと思う。拘りのある人は色んな食材を持参して山での食事を楽しみたいと思う人もいれば、レトルト品で必要なカロリーが摂れれば十分という人もいる、私の様に何が何でもビールは持って行きたいという人もいる。今回の食材は入れ物も入れて3.3kgと装備の中で一番ウエイトを占めた。(最もビールの1.1kgが入っての事だが) 今回計測して気付いたのが、食材入れが150gと結構重さがあった事だ。これはビニル袋等で代用する事が出来る為、真っ先にリストラすべき装備だ。 その他類リストを一通り見渡しても、無駄なものは余り無い様に思われる。使用しなかった物も万が一の事を考えたら持って行かないという訳にはいかない。サンダルや文庫本などは無くても良いが、快適・贅沢とのトレードオフの関係で悩む所ではある。救急セットについては中身が適切か考える必要はある。何せ何年も使用していない物もあり、いざ必要な時に役割を果たす事ができる品物かチェックしておく必要がある。  以上ざっと持ち物について書いたが、一番気になったのが、ザック・テントといった基本装備品の古さである。重さを気にしなければ十分現役として使用できるのだが、これらを最新装備にすれば、これらで1kg以上の軽量化が実現できる。 逆に基本装備はこのままとすれば、後は下着、着替えといった衣類で600g程度、クッカー類で100g、食材類で500g(あくまでビールは除く)、その他類で500g程度の軽量化は可能だ。 まとめればこんな感じか | 従来装備 | 最新装備 | 今回の総重量 | 15,236 | 15,236 | 基本装備 | ±0 | -1,000 | 衣類 | -600 | -600 | クッカー類 | -100 | -100 | 食材類 | -500 | -500 | その他類 | -500 | -500 | | | | 小計 | 13,536 | 12,536 | | | | ビール | -1,110 | -1,110 | | | | 合計 | 12,426 | 11,426 | 基本装備を従来のままでパッキングを見直せば13.5kg(-1.7kg)、基本装備を最新のものに入替えれば12.5kg(-2.7kg)。更に最終手段でビールを諦めればそれぞれ12.4kg(-2.8kg)、11.4kg(-3.8kg)まで軽量化できる事が分かった。 最も、最新装備に入れ替えるには相当の出費が必要な為、現実的ではない。なので12.4kgが今回考えられる最小の装備といえるだろう。これに水を加えた13.4kgが着地点と言えそうだ。 先日YAMAPのフォロワーさんがアップしたレポの中にこんな言葉があった。 「ザックの中は夢と現実が交差している」正に名言!軽量化を突き詰めて夢が無くなってしまったら元も子もない。 やはりビールを一本入れて14kg以内を今回の着地点としよう!
以前から気付いていた事だが、サイトやTwitterで「鬼ヶ岳」と検索すると2つの山がヒットする。 一つは我が地元にある鬼ヶ岳。もう一つが山梨県にある鬼ヶ岳である。  西湖の北にあり、単独峰というより縦走中にある山の様で、ネットで紹介されている数はそれ程多くは無い。しかし標高は1738m、山頂は南アルプスや富士山を一望できる。 以前富士山に遠征した際、予備日を一日設けて登ってみようかと思ったものの実現していない。 こちらの鬼ヶ岳もいつか登ってみたいと思っている。
先日の 初めての御来光から3週間、果たして白山からの御来光は望めるのだろうか? 本日の日の出時刻は4:43。先日の日の出時刻が5:01だったので、3週間で20分近く早まった。因みに一年で最も早い日の出時刻は6月5日から21日までの4:.38(福井県の場合)。どうりで最近明るくなるのが早い筈だ。  3:55登山開始、大鬼展望台では白山方面の空が早くも紅く染まり始めてきた。今日も期待できそうだ。  山頂到着は4:35。既に家族連れと単独男性が御来光待ちしていた。少し会話を交わしながら御来光を待つ。既に田んぼの水面が赤く輝いて美しい光景が広がった。そのうち常連さんらいき男性も登ってきた。  そして4:54、正にどんぴしゃ!白山御前ヶ峰からの御来光。前回に続き2度目だったので前回ほどの感動はなかったものの、三の峰、別山を通り過ぎ本当に白山本峰まで達していた。最終的には七塚山辺りまで行くのではないだろうか。  今年は今一の紅ドウダンツツジも朝日を浴びて、綺麗だった。
前回に続き富士登山の忘備録 2019富士登山(2019/8/3~4)本来なら前年が最後の富士登山の予定だったのだが、実は下山時にある出来事に遭遇し、そのために翌年再び富士山に戻って来る事になったのであった。その出来事とは・・・ 御殿場ルートを下山中、妙に自衛隊の隊員の姿を多く見かけた。調べてみると、翌日ある大会がこの御殿場ルートを舞台に行われることが分かった。その大会とは 「富士登山駅伝」、毎年8月最初の日曜日に開催されているらしい。前年下山した日が8月4日の土曜日、つまり大会前日である。隊員さん達はそのレースの準備の為、ここに来ていたのであった。 「富士登山駅伝」と聞いて熱い記憶が蘇ってきた。自分がまだ10代か20代の頃はテレビ中継されていて、毎年楽しみに観ていたのを覚えている(生中継ではなく、編集されてものを当日夕方放送していたと思う)。大砂走りの途中にある中継所では、勢い余ったランナーがタスキを渡した後も止まる事が出来ずに、そのまま転がり落ちていく姿をテレビニュースなどで見た事もある方もいるのではなかろうか。当時は 「滝ヶ原自衛隊」と 「第1空挺団」の両自衛隊チームが抜きんでて強く、優勝争いをしていたのを覚えている。その後テレビ中継が無くなって、もうレースを見る機会が無かった。 家に帰ってから当日のレースの模様をYouTube等で見たのだが、テレビを見ていた頃の熱い思いが再び蘇り、どうしても生でこのレースが見たいという思いが強くなり、何時しか2019年の8月4日の日曜日に御殿場ルートに戻って来る事がデフォとなっていた。因みに近年の富士登山駅伝は「滝ヶ原自衛隊」チームの独壇場の様だ。富士山麓に駐屯地を置く当チームにとって大会優勝は絶対使命であり、現在大会最多優勝回数を更新中である。 大会の事を先に述べてしまったので当日のレースの模様をアップしておく。音声はお聞き苦しい我々の声援が入っているのでカットさせてもらった。場所は山頂から御殿場ルートを15分程下った辺り。トップの選手が遥か下の登山道に姿を現したかと思ったら、ものの5分もしない間につづら折れを一気に我々のいる地点まで登ってきた。胸にはやはり 「滝ヶ原」の文字が。下方に見える豆粒の様な人は全て一般の登山者で、2位以下の選手は全く見えないブッチ切りの先頭である。 ありえない!ここは富士山の山頂直下である。我々が2時間以上掛けて登ってきた急登をものの数分で駆け上がってきた。このトップの選手は殆ど歩いていない、本当に 登山道を走っているのだ。その後ようやく2位以下の選手が次々と登ってきたが、さすがに後方の選手になると息を切らして歩く選手も多かった。場所を考えればこれがまともな姿だろう。 登山道にはあちこちで自衛隊員が配置されていて、登山者に選手の接近を知らせたり、大会のスタッフとして活動していた。考えてみれば普通の人間ではこんな場所でスタッフとして参加する事はまず無理である。下手をすれば自分が高山病でやられてしまう。富士山を舞台にしたレースならではの光景である。 話を前日に戻す。今回は水ヶ塚公園駐車場をスルーして、午後6時御殿場口新五合目駐車場に到着。文字通り御殿場ルートの登山口にあり、富士山の全容が間近に一望できた。  最初からここに駐車しておけば、下山してそのまま車で帰る事が出来るので都合が良い。但し富士宮登山口へはここからシャトルバスを1時間程かけて乗り継いで行かなければならない。当初はそのつもりでいたのだが、駐車場から見える山頂が、まるですぐ近くにある様な錯覚に陥り、妻は御殿場ルートの登りにチャレンジしてみたいと言い出した。 時間は十分にあるし天気も安定しているので、当初の予定を変更し、夜を徹して御殿場ルートにチャレンジする事になった。標高は1440m、高低差は約2300m、コースタイムは8時間20分。食事をとって支度をし、午後7時30分に登山開始。  最初は順調にコースタイム通りに登れていたが、深夜になり標高が上がるにつれ徐々にペースが遅くなった。休憩の度に「今どの辺り?」とか「あとどれ位?」とか頻りに尋ねる様になってきた。今までそのような事は聞いてきた事が無かったので、よほど疲れてきたのだろう。3000mを超えた辺りからは口数も減り、行動時間より休憩時間の方が多くなってきた。  八合目辺り、残りコースタイム1時間位で東の空が明るくなってきた。何とか山頂での御来光と思っていたが、数歩登っては立ち止まって肩で息をしている妻を急がせる事はできなかった。山頂直下での御来光だったが、それはそれで一晩かけて登ってきたコースが眼下に一望できて素晴らしい景色だった。  午前5時30分に登頂、出発からちょうど10時間、二人とも過去最長の登り時間だった。真冬の様だった昨年の山頂も、今年は日の出後40分という事もあり、心地よい暖かさで迎えてくれた。昨年の教訓より、持参したコンロと水で温かいラーメンを作り、更にはエアマットを膨らませ、駅伝レース観戦に備え日本一高い所でのお昼寝タイムとした。  富士山を登る人のほぼ85%が吉田ルートか富士宮ルートからの往復である。御殿場ルートを往復する人は全体の6%程度に過ぎない(残りは須走ルート)。それ程御殿場ルートは一般の登山者には長くて厳しい登山道である。ここをチャレンジした妻は我ながら凄いと思うし、今後も自慢してもらっても良いと思う。ただ、未だに御殿場ルートの凄さが分かる知人に出会えていないのが残念な所だ(笑)。 名残惜しく大砂走りから山頂を振り返る
昨日、静岡県が富士山への3登山道を今シーズン閉鎖すると発表した。先日の山梨県の発表と合わせ、これで今シーズンは富士登山が実質出来なくなる事態となった。 「今年こそは!」とか 「毎年必ず!」と思っていた方にはとても残念な結果となってしまった。しかし、ただでさえ他の山に比べ俄か登山者が多く、まるでテーマパークの様に混雑する御来光前後の登山道や山頂の神社周辺の事を考えると、やむを得ない措置なのかもしれない。 自分はというと、昨年まで3年続けて登っていて、流石に今年はもう止めておこうかなと思っていた所だった。 3年前に登った時のことは以前書いたのだが、一昨年、昨年の事は何も触れていなかった。ちょうど良い機会なのでこの時期に忘備録として書いておく事にする。 2018富士登山(2018/8/3~4)前年に見た富士山頂からの眺めが余りにも素晴らしかったので、その感動を妻にも味わわせてあげたいと思い、夫婦登山を計画。妻にいきなり御殿場ルートを登らせる様な酷な事はせずに、富士宮ルートで登り御来光を見て大砂走りの御殿場ルートを下る計画だ。 折しも2018年の夏と言えば記録的な猛暑、行きの道中、愛知県内の高速道路路肩の温度表示は丁度 40度を示していた(汗。 水ヶ塚公園駐車場に車を停め、シャトルバスで富士宮五合目に着いたのは午後8時過ぎ。標高は2380m、既に白山弥陀ヶ原と同じ高さだ。周りの登山者同様、高所適応の為1時間程休憩し午後9時半位から登山開始。 30分に一度の間隔で休憩を取りながら登ったが、夜間で気温が低かったせいか順調に登る事ができ、3時半頃に山頂に着いてしまった。御来光まで1時間以上時間があるので、横になって仮眠するつもりで防寒具やツエルトも用意してきた。しかしこれが誤算だった。山頂の気温は麓がいくら熱帯夜であっても標高差により気温差は25度位はあるので恐らく一桁代、それに加え北風が容赦なく吹き荒れた為、恐らく体感気温は氷点下だったと思う。 風をいくらか避ける為、建物の風下の軒下で二人で寄り添い、いくら防寒具をまとってシュラフにくるまっても寒くて寒くて仮眠どころではなかった。何と 数時間前との気温差は40度以上という日常生活では考えられない体験だった。そのうち妻が低体温症ぽい症状が出始め、 「しまった連れてくるんではなかった」と後悔した頃、ようやく東の空が明るくなってきた。  御来光を見るため歩き出すと妻も若干体が温まり元気がでてきた。そんな中で迎えた御来光、これほど太陽の光が美しくありがたいと感じた瞬間は無かった! 周りの空気が一瞬にして静から動へ変わり始めた。見る見るうちに暖かくなり、妻の表情にも生気が戻ってきた。  御鉢巡りもしたかったが、さすがに妻もそこまでの気力は無く、最高地点の標石で、もってきた日の丸と記念撮影。  下りは日本でここでしか体験できない「大砂走り」を二人で無邪気な子供の様な気分で楽しんできた。  2019年の記録は後日
最近鬼ヶ岳で5、6人の若者グループとすれ違う事がよくある。駐車場に自転車が止めてあるので恐らく中高生グループだろう。普段は山に登ったりしないのだろうが、時節柄有り余った体力とストレスを里山ハイキングで思いっきり発散したいのであろう。それはそれで結構な事だと思う。 昨日も、序盤の林の中を歩いていると、前から賑やかな声がして元気な若者たちが山から下りてきた。こうした若者達と出会うと必ずと言っていい程、後で残念な光景を目にする。案の定今回もであった。 登山道に捨てられてあった空き缶、別の日には空のペットボトルなど。 決して彼らが捨てていったと決めつける訳にはいかないし、持ち帰ろうとしてポケットからたまたま落ちてしまったのかもしれない。それ以外にも最近は飴玉やチョコの包みといった、それこそ簡単にポケットから落ちてしまいそうな小さなゴミがよく目に付く。 幸い登山口には豊富な水量の洗い場があるので、見つけた時には持ち下りて洗って家庭ゴミに出している。  学校へも行けず、家族でどこにも出かける事のできないこの時期、鬼ヶ岳の様な里山ハイキングは数少ない感染リスクの少ない屋外活動であり、子供達には大いに楽しんで欲しいと思う。なのでこの時期ゴミが多くなるのはやむを得ない事だと思っている。 「ゴミ回収登山」に徹しているこの頃である。
自分にとって鬼ヶ岳に登る事は、登山というよりも日々の体力作りという面が大きい。時間がある時にサッと出掛けサッと登って帰ってくる。もちろん登山口までの行き帰りの道中一切寄り道もしない。 なので登山も自粛といわれているが、こと自分の鬼ヶ岳登山に関しては、感染リスクは極めて少ないと思っている。人との接触といえば登山道ですれ違う時くらいだ。このリスクは一般の人が散歩やジョギングで感染するリスクと同等ではないかと思っている。なのでこの時期も自分は鬼ヶ岳に登っている。 ただ、平時でさえ人の少ない夕方に登ってはいるものの、それでもできるだけ人とすれ違う事を避けようと、先日は日没を見計らって登ったりしている。トワイライトの武生の街も日野山がアクセントになって実に美しい。  そして今日は、まだ一度も経験した事のない、鬼ヶ岳でご来光を見に登ってきた。 新聞テレビによれば、福井の日の出時間は5:01との事。ただ、どの地点での日の出時間なのか分からないので、途中焦って登ってみたものの、実際の鬼ヶ岳山頂からのご来光は5:09だった。 白山方面の空が赤く染まり、それまで見えなかった山の稜線がくっきりと見え出したかと思ったら、次の瞬間くっきりとしたオレンジ色の太陽が、丁度三の峰の右側、二の峰と思われる辺りから顔を出してきた。  鬼ヶ岳に登り始めてから18年、初めて見るご来光は感動ものだった。一緒に登った妻と暫く無言でただ眺めているだけだった。 ここで一つ気になる事が。夏至まではあとひと月以上ある。ひょっとしたら 白山からのご来光が拝めるのではないだろうか?鬼ヶ岳はまた新たな楽しみを与えてくれた。
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